南武線・・・川崎〜立川と、尻手〜浜川崎を結ぶ線です。

運用状況
区間 種別 車両
立川〜川崎 普通 205系(元ヤテ&被改造)、209系
尻手〜浜川崎 普通 205系(被改造)

歴史

1920年に設立した私鉄、南武鉄道が起源で、同会社は1927年に川崎登戸を開通させました。その後1929年に立川まで全通。そして1944年に国有化され、南武線という名前が付けられました。

で、ちょっと前にブームになった南武支線が出来たのは1930年のことで、最初から尻手浜川崎を結んでいたようです。

 

運用状況

この線は、種別的には基本的に各駅停車のみが走り、どの駅にも列車が均等に止まる、ある意味分かりやすい路線です。
車両は上の表のとおりです。その205系は3種類あり、

となっていて、さらに209系も加わって活況を見せています。(多分)

で、忘れてはならないのが1969年〜1978年に定期運用で走っていてた快速列車で、当時は中央線から借りた朱色の101系を使用していたようです。
ですが、途中駅での各駅停車との接続がなく、利用客からは不評でした。
で、その後各駅停車の全車が101系に置き換わり、各駅停車の速度が向上したのを理由に、廃止されました。
ちなみに気になる停車駅は武蔵小杉武蔵溝ノ口の2駅でした。

今は臨時快速として「川崎-奥多摩ハイキング」号が運転されてます。その名の通り青梅線の奥多摩まで直通しており、南武線内停車駅は武蔵小杉武蔵溝ノ口登戸と、ほぼかつての快速列車と同じのようです。車両はあの「四季彩」です。

支線のほうは、かつては時代の風雲児101系が最後まで走っていた線として有名でしたが、今は先頭車改造を受けた元ヤテの205系が走っています。どっちにしてもかつて関東を支えた車両が走っていたことには変わりがありません。が、どちらも2両編成の単行で走っていて、どこかミスマッチです。

 

沿線の様子

川崎では東海道線や京浜東北線と並び、地元でない人から見ればなんとなくひっそりとした印象がありがちですが、ホームは南武線ユーザーでいっぱいです。

その川崎を出てしばらくすると尻手に到着。ここでは南武支線と合流します。南武支線は改造205系のほかに貨物列車が多数走っていて、むしろそっちのほうが多いかも。

その後は単調な通勤路線です。利用客は全体的に多く、典型的な都市型路線です。途中は多摩川などを渡り、立川まで行きます。

 

コメント

横浜線などといった東海道−中央線の連絡線は、かつてはけっこうローカルな立場だったんでしょうが、最近は神奈川県の各私鉄をつなぐ線として注目されるようになり、利用客も多くなって活況を見せていることが多いようです。南武線も例外ではなく、運用に入っている車両はみんな通勤型です。それも4ドアの特徴をもてあますことなく使われていて、もうすっかり通勤路線です。

南武支線は、鶴見線とともに都会不思議ローカル(?)として有名で、「スーパーベルズ」によって歌にもなっています。かつては101系が最後まで走っていた路線として有名でしたが、私は乗ったことありませんでした(知らん

特に八丁畷は、単線の1面のみのホームから階段を下りると

←これはイメージです。実際と違うところがある可能性があります。

と、驚かされることでしょう。そう、JR南武支線のホームから階段を一つ下りると京急のホームに着くのです!で、JR専用の改札はなく、この駅でJRを利用したければ京急の改札を使い、京急のホームを通らなければならないのです。JRとしては肩身が狭い駅ですが、京急としてもホームを変えたい人はどうしても跨線橋代わりにJRのホームを通らなければならないという、変わった駅です。

話を京急に戻・・・じゃなくて南武支線に戻しましょう。浜川崎の話をします。浜川崎は鶴見線との連絡駅ですが、間に公道があり、いったん改札を出て道路を渡らないと乗換えが出来ないという、JRではめずらしい駅です。ちなみに貨物線のほうは鶴見線とつながっています。

で、この支線は旅客列車よりも貨物列車のほうが主役といっても過言ではなく、貨物列車がひっきりなしに走っています。

一見単純な路線に見える南武線も、実はいろいろな面があるのでした。


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