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JR相模線と相模鉄道

※内容に誤りがありましたため、修正いたしました。すみませんでした。
 [接続はないどころか、厚木にすら達してませんよね。] →  [厚木での接続はありませんよね。]
2005年5月5日


JR化後に電化され、ちょっと変わった205系が走ることで知られている、茅ヶ崎〜橋本JR相模線と、1990年に大手に昇格し、相鉄として親しまれている相模鉄道。一見すると関係ありそうで無さそうな2つの路線。「名前が似てるだけで、繋がりは無いだろう」という意見があると思いますが、実はとんでもないほどの繋がりがあるのです。

 

そもそも本来の相模鉄道は、なんと茅ヶ崎〜橋本をむすぶ現JR相模線の方。1921年に茅ヶ崎〜寒川を開通させたのは、現在相鉄として親しまれる大手私鉄の相模鉄道なのです。
鉄道敷設の歴史には、同じ名前でも由来がまったく違う鉄道会社という例が多くありますが、この場合は正真正銘の相鉄のようです。
が、その後相模鉄道は橋本まで全通し、八王子までの直通列車を運行したものの経営不振に陥り、1941年に東京横浜電鉄(現・東急電鉄)の傘下に入りました。

 

では現在の横浜の相模鉄道本線は一体なんなんでしょう。
こちらは神中鉄道という別の会社が作った路線なのです。1926年に二俣川〜厚木が開通し、その2ヵ月後に寒川方面から伸びて厚木に達した相模鉄道線(JR相模線)と接続し、旅客や貨物の相互乗り入れが行われました。

ここで、あれ?と思った方も多いかと思います。現在の相模鉄道本線も、JR相模線も、厚木での接続はありませんよね。とくに相模鉄道は路線すらありませんよね。何が起こっているかといえば、現在は接続線は貨物線となっているのです。JR相模線は甲種車両輸送や保守車両の留置場に使われていて、現・相模鉄道側の貨物線は貨物運輸・車両回送に使われているのです。

その後1933年に横浜側も全通させたもののこちらも経営不振に陥ってしまい、1939年に東京横浜電鉄(現・東急電鉄)の傘下に入りました。

というわけで、気が付く人なら分かるとおり、厚木で接していた両方の鉄道線とも東京横浜電鉄の傘下に入ったわけですが、経営の合理化を図るために1943年に相模鉄道が神中鉄道を吸収合併し、ひとつの会社になりました。ここで一旦タイトルの両線は一緒になったわけです。

しかしその翌年の1944年に、国鉄の東海道本線と中央本線の連絡線として現・JR相模線の部分が国有化されました。これによって相模鉄道は本線を失くし、旧神中鉄道部分だけが残ってしまいました。時は戦時体制下の日本ということで何事も強引に行われたようで。
さらに、厚木側の小田急接続駅が厚木から海老名に変わり、厚木方面の路線は貨物輸送のみになりました。

 

そうして現在に近い形が出来上がったわけですが、国鉄も末期のころ、実はJR相模線相模鉄道に返還する計画がありました。
当時のJR相模線は非電化ローカル線で、一方の相模鉄道は電化された上に冷房完備の長編成通勤電車が走るという始末。こういった話が出るのも分かるというものです。
しかし職員などの引き取り条件がうまくいかなかったようで、結局実現はしませんでした。

 

今でこそJR相模線は電化され、そして相模鉄道は大手私鉄になりましたが、もともとは同じ相模鉄道だったわけです。名前が同じだな〜と思ったら、もともとの会社も同じだったわけで。調べてみれば意外な歴史的なつながりってあるもんだなぁ〜と思いました。
ちなみにつながってたのは戦前〜戦時中の時です。相鉄の歴史の深さも意外でした。


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"旅始駅〜鉄道旅行のターミナル〜"was written by 209-0