湘南新宿ラインの・・・

歴史


実はこれが一番やりたかったかも・・・・

では、湘南新宿ラインの歴史です。なお、湘南新宿ラインは今に存在する路線です。ということで湘南新宿ラインに何かあるたびにこのコーナーは更新されるということです。湘南新宿ラインの今後に期待!

1.湘南新宿ラインの始まりは東北貨物線(04’12/10記)

湘南新宿ラインの始まりは1968年の東北線大宮赤羽間の3複線化でしょう。
今までただの複線だった同区間ですが、列車数が上がったので長距離用の線を増やして複々線、さらに貨物線を増やして3複線としました。この貨物線の増設が後の湘南新宿ラインの走行路線となるところです。

2.実は武蔵野線開業がかかわっていた?(04’12/10記)

昭和40年代は国鉄の赤字がひどくなってました。そこで、その元凶とされていた貨物列車の近代化を図ることになりました。
それまで東京では山手貨物線が貨物列車の大動脈でしたが、東京の郊外に貨物ターミナルを新設し、それらの貨物ターミナルをつなぐ路線を作ることになりました。それが武蔵野線です。
武蔵野線の開業によって、これまで飽和状態だった東北〜山手貨物線に空きができました。

3.東北貨物線を活用し出した!(04’12/10記)

空いた貨物線の用地を使って上越新幹線の新宿延伸をさせる計画もあったようですが、東北新幹線の複線でいいよ、ということになったので立ち消えになりました。
そして昭和59年には、朝の通勤時間帯にその東北貨物線をつかって中電を走らせることになりました。
貨物線を使って増発したため、増発分の列車は赤羽止まりとなりました。

4.埼京線の開通もかかわっています(04’12/10記)

東北新幹線の大宮上野間延伸の際に沿線の人が騒ぎ、新幹線の見返りに埼京線を作る事になったのは有名な話。
この埼京線を、赤羽池袋を往復していただけの赤羽線に乗り入れ、さらに山手貨物線を活用して新宿まで乗り入れることになりました。
ここに来てやっと具体的に湘南新宿ラインの姿が見えてきましたね。
というわけで赤羽線は複線化され、、新宿にもホームが新設されたことにより、現在東京でも有数の混雑路線、埼京線は出来上がったのでした。

5.宇都宮・高崎線を池袋へ(04’12/10記)

その後昭和63年、池袋に新たに1つホームが出来ました(現在の1・2番線)。これによって何が起こったのでしょうか。
の項目に示したとおり、赤羽止まりの貨物線経由の増発列車がありましたが、貨物線をそのまま通って池袋まで直通させることができるようになりました。
このとき6往復あった赤羽止まりの列車の内の5往復を池袋まで延長し
(1往復は上野行きに建替え)、さらに1時間に1本が池袋行きになるように増設しました。
また、このとき新宿にもホームをもう一つ増設しました
(今の3・4番線)。このホーム増設は成田エクスプレス新設のためですが、このホームが後々大事になってくる・・・。

6.湘南新宿・・・ライナー(04’12/10記)

一方、南側の東海道線のほうは、これに関して特に変化はありませんでした。なにせ01年に山手貨物線〜品鶴貨物線を結ぶ連絡線が開通するまではろくに動けませんでしたから・・・
で、そんな東海道線で何を話すのかというと、実は東海道〜新宿を結ぶ貨物線を使って「ある」ものが走ってたんです。
「そんな貨物線があったならはじめから使えよ」と思ってませんか?しかしこの貨物線というのも曲者で、実は横浜を通ってないのです。横浜を通ってなければ旅客線として使えませんね。でも使い始めました。
大都市を通過して喜ぶ旅客列車といえば・・・そう!「通勤ライナー」です。この特殊な貨物線を使って「湘南新宿ライナー」が小田原新宿で始まりました。1989年、平成に入ってすぐのことでした。

7.早雲急を告げ・・・(04’12/10記)

それから10年余り。2001年3月に都心〜横浜市内をむすぶ東急東横線に動きがありました。東急線内にさまざまな変化があり(これについてここでは省略します)、以前から計画があった「特急」が東横線に新設されました。
特急は15分間隔で運転され、渋谷横浜を27分で結ぶようになりました。
さて、この特急新設ですが、線路容量に余裕が出来たから特急を新設できたという話ですが、同年に開業予定だった湘南新宿ラインに先手を打ったともいう話もあるらしいです。いままで都心〜横浜の独壇場だった東急線にライバルが出来るということですから、そりゃあせりますよ。
これをきっかけに東急vsJRの壮絶な(?)競争が繰り広げられるのです・・・

8.湘南新宿ラインの開通(04’12/10記)

そして、とうとう2001年12月1日、山手貨物線や東北貨物線を使った湘南新宿ラインが開通しました。
当時は新宿横浜を最速で28分かけて結んでいました。1時間に快速1本、各停2本というダイヤでした。
当時は新宿大船籠原
(高崎線)国府津(東海道線)宇都宮(宇都宮線)逗子(横須賀線)がそれぞれ1時間に1本づつ設定され、そのうち高崎⇔東海道の列車が快速運転をしていました。
もともと新宿から横浜へ至るには新宿から渋谷へ出て、そこから東急東横線を使うというのが主流だったようですが、湘南新宿ライン開通後は乗り換えなしでいけるようになりました。
なお、このときに湘南新宿ラインと名前が似てるることから、以前あった「
湘南新宿ライナー」は名称変更し、上りが「おはよう新宿ライナー」、下りが「ホームライナー小田原」に変更になりました。

9.小田急線を忘れるな!(04’12/10記)

・・・湘南新宿ラインによってJRで乗り換えなしでいけるようになった新宿藤沢。しかしこの区間は実はいぜんから直通運転をしているところがありました。
それが小田急江ノ島線です。こちらも湘南新宿ラインに危機感を感じたのか、02年3月に「
湘南急行」を新設していました。江ノ島線の沿線開発もさることながら、JRへの対抗も考えていたはずです。
いずれにせよ、湘南新宿ラインによって首都圏の西南部を活性化させたことには変わりがありません。
その湘南新宿ラインは同年12月に朝夕を中心に増発をしました。

10.池袋の改良(04’12/10記)

その後湘南新宿ラインはその利便性が世間に知られるようになり、利用客が増加していました。とうぜん増発が望まれたのですが、ネックになっていたのが池袋の平面交差でした。
当時池袋は1・2番線が湘南新宿ライン、3・4番線は埼京線が使っていました。線形から見れば3・4番線が本線になり、新宿側には当然平面交差が生じます。
これを解消するために池袋は1・2番線を新宿行き、3・4番線を埼玉行きとするように改良することが必要でした。(1・4が埼京線、2・3が中電)。こうすれば2・3番線が本線になり、平面交差は解消されます。 
これをするには、駅の埼玉側で、1番線へ行く埼京線の上り列車が湘南新宿ラインを立体交差する必要がありました。その工事は02年5月からはじまりました。
そして04年6月の線路付け替え工事を最後に完成し、立体交差が完成しました。これによって念願だった埼京線上りが湘南新宿ラインをオーバークロスするようになりました。
そして湘南新宿ライン始まって以来の大改正が行われるのでした・・・

11.04年10月の大改正(04’12/10記)

そして、その「大改正」はやってきました。04年10月16日、この日は全国的に改正が行われましたが、湘南新宿ラインにも改正の波が訪れました。
まずは運行形態の変更。南北からの新宿折り返しが廃止され、すべての列車が大宮〜大船を直通するようになりました。それに伴って使用車両がE231系近郊型に統一されました。
それと列車の増発。今までの32往復から64往復と、なんと2倍近くに増えました。そして宇都宮⇔横須賀線系統に「快速」が、高崎⇔東海道線系統に「特別快速」が新たに設置されました。特別快速は新たに恵比寿を通過し、さらに高崎・東海道線内でも快速運転をすることになりました。
さらに、E231系に新たに2階建てグリーン車が設置されることになりました。G車自体は7月から試験的に無料開放していました。ちなみにグリーン車は宇都宮・高崎線の一部にも導入されました。


・・・そうして現在に至っています。

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