私の鉄道ファンの歴史

生まれてこの方十数年。つねに鉄ちゃんとして生きてきた私ですが、今までの鉄道ファンとしての出来事を整理して公開しようと思います。


生まれた場所・・・?

え〜、まず私が生まれた場所というのが、埼玉県K口市のとあるところで(といっても道端じゃない)、当時住んでいた場所はK京線のT田市の快速停車駅T田K園駅と、K浜T北線の西K口駅とのちょうど中間地点に位置していまして、私の鉄ちゃんとしての要素と、なにか因果関係があるんじゃないかとにらんでいます(ぜって〜ない)。この運命的な家とは1年半ほどでおさらばし、次に住んだのは、新幹線を敷設するに当たって、鉄道の駅もないのに新幹線の騒音に悩まされるのは不公平だとし、O宮から新交通システムを引っ張らせたI奈町でした。ちなみに家は違えどいまでもこの町に住んでいます。

ただの電車好き?それとも・・・?

今までのはすべて物心付く前の話で、記憶にはない話です。その後物心がつき、興味を持ったのは不運?にも鉄道でした。家には幼児向けの鉄道の本がいくつかあり、形式は分からずとも、新幹線を中心に「この電車はこの線」というふうに理解していました。おそらく周りの子供よりこの手の知識は豊富だったようです。

で、小学校入学前には新幹線車両の形式および路線の終点は理解していました。

初めての一人帰省は・・・

で、近年では18きっぷを使っていくようになった一人帰省のルーツは、確かこの頃だったと思います。この頃は両親が共働きで、K州にある祖父の家にいくのが遅れ、自分だけ一足早く行くといった事が多くありました。
で、最初に一人でいったのが確か「飛行機」でした。鉄道じゃないじゃ〜ん、と思うかもしれませんが、記憶上そうなのです。一人といっても空港までは送ってもらい、着いた空港には迎えがあるという、ただ眠ってれば着くものでした。

鉄道でのはじめての一人は、その次ぐらいの年。東海道新幹線でのことでした。といっても行き先はK州ではなくK戸で、震災の次の年あたりでした。「ひかり」で行ったと思ったのですが、このときは「のぞみ型で運転」と称し、300系を使って運転していました。またまた東京まで送ってもらい、新O阪で迎えがくるというものでした。

そしてその後、とうとうK州まで一人で行くことになりました。といってもやっぱり東京までは親の迎えがあり、新幹線を降りるK倉では向こうで迎えがあるというものでした。
ちなみに当時はやはり新幹線といえば形式と路線の終点しかしらず、自分が降りるはずのK倉はアウトオブ眼中(眼中にない)でした。

そのごは1〜2度ぐらい一人で行ったはずですが、記憶にありません。

209系との出会い

その後自分は鉄道に触れる機会が減り、鉄分がかなり薄くなっていました。
そんななかまたもやミッションが。東京まで迎えがある例のパターンですが、K倉には迎えなし、迎えが来るのは地元の大分県N津でした。一つレベルアップしているのですが、もう一つ期待させることが。それは今回500系に乗れることでした。500系といえばあのかっこよさ。そして速さ。これに胸をわくわくさせていました。そして当日は6時始発の「のぞみ」に乗るためにツノミヤ(東北)線の始発が出る前に京浜東北線の始発に乗ります。ここで、将来忘れられない出会いが・・・

出会いはゆっくりやってきました。駅に止まっていたのは209系。このとき初めて見たわけではなかったのですが、ゆっくりご対面したのがこのときが初めてで、始発の長い発車待ち時間になんとなく車内を見渡していました。すると、車内が結構近代的なのに気づきました。
「この車両ってこんなに近代的だったんだ!」と、その時感じました。そしてこの車両に気が向き始めたときにとどめの一発が・・・
発車時間になり、闇の中、静かな駅でなり響いた発車メロディに幻想的なものを感じ、出発しました。そして・・・

「この車両、発車音がすげぇ〜!!」

209系のVVVFの音にとても感動しました。今までの国鉄車ではとても聴けないVVVFの高らかな、そして規則的な音にこれまでにない感動を覚えたのです。いまでこそVVVFインバータは珍しくありませんが、この頃は結構珍しく、私は始めて耳にしました。そして静かな車内で一人心の中で大きく感動していました。こう書くと感動が薄い様ですが、このときの感動は計り知れず、鉄道でこのときほど感動した時は後にもそうありません。その大きさは、この後に乗った500系の初対面の感動をもかき消すほどでした。

長くなりましたが、これが私と209系の出会いでした。で、このあとに500に乗って時速300キロを体感するのですが、この時私は、列車が300キロに到達した瞬間に進行方向に歩き、「自分は300キロ以上で移動してるんだ」という馬鹿なことをしていました。歩いた後は、「このまま何もせずに引き返すと変に見られるから」と、わざわざトイレに行ってたりするなど、なかなか生意気なことを考えてました。

本格的な鉄ちゃんへ

その後は、鉄道部分はすべて自分だけで行くということもやり遂げました。しかもそのときは鉄道のことを何も知らない妹を連れて。結構レベルアップしてるでしょ?
しかし、またもやしばらく一人で帰省することはありませんでした。

時は流れて2002年にうちにパソコンがはいりまして、この頃から自分の鉄道ファンとして本格的に指導する事になりました。当時は東北新幹線開業以来はじめてに北に延伸ということで騒がれており、このことをネットでいろいろ調べていました。

そして初めて鉄道旅行したのが「ホリデーパス」。これではじめて趣味のみで電車に乗りまわりました。当時は関東内ということで行き当たりばったりの旅行をしました。これはミニトリップにも乗っていない秘蔵話です。

その後東北新幹線が八戸へ延伸開業し、JRが完全民営化した記念に超格安の「東日本パス」がきっかけでとうとう関東外への旅行をすることに成功春のみちのく一人旅03−1青森・八戸の旅。しかし初の関東外旅行でいきなり最初で最大のトラブルに巻き込まれました(運悪!)当時は「はやて」に乗って「スーパー白鳥」にのって青森いって仙台に戻って松島海岸へ・・・という計画でしたが、青森県内の雪害で後半がすべておじゃん。結局青森いってただ帰ってくるだけとなりました。
ちなみにそのわずか2週間後に「土日きっぷスペシャル」という、土日きっぷの格安版を使い、またまた東北に出向くことになり、乗り鉄として急成長した頃でした
春のみちのく一人旅03−2鳴子・松島の旅

同じ年の夏、高校受験に向けて塾に入り始め、その関係で自分だけ帰省が遅くなり、またまた一人でいくことになりました。それは18きっぷを使っていくもので、鉄道旅行をし始めてまもない私には結構冒険でした。しかも初の夜行快速。が、多少のトラブルはあったものの、無事に計画を終わらせることができました九州帰省の旅03’夏

そして・・・

そうして鉄道旅行に味を占めた私は、次の年(2004年)の春にも東北旅行を挙行しました。しかもまた18きっぷ。
もともと親戚に「受験合格祝いは何がいい?」と聴かれ、迷っていたところ親が「18きっぷは?」と冗談交じりでいったのが始まりでした(だから親が悪いんだ親が・・・)。で、それを本気で実行しまして、2年目のみちのく一人旅は18きっぷでいきました春のみちのく一人旅04’東北・羽越線の旅
とうぜん18きっぷを使えば日帰りではロクな旅行が出来ないので、途中にビジネスホテルでの宿泊を混ぜました(マセやがって・・・)。で、東北を普通列車でとことこ移動したのでした。ちなみに宿泊は秋田でした。

で、その18きっぷの親戚へのお返しとして、あまった18きっぷでY口県はS関へ出向くことになりました九州帰省の旅04’春
MLながらにのったり6時間も同じ車両に乗ってたりと、けっこういろいろな体験をしました。

で、ネットサーフインをするようになった頃から自分でウェブサイトを持ちたいな〜と思ってたのですが、高校に入学してから気持ちが早まりまして、とうとう5月24日ウェブサイト公開開始となったのでした。さらに当初は鉄道コンテンツはついでだったのですが(ほんとか?)これも気持ちが早まりまして、リニューアルを行ったうえで9月28日鉄道コンテンツ独立(爆

そして現在に至っています・・・なんという人生じゃ・・・


特集に戻る

一言コラム:日本の人口の約1割が鉄道ファンだと思う

"旅始駅〜鉄道旅行のターミナル〜"was written by 209-0