国有化した私鉄たち〜かつての栄光〜

関東・甲信越

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総武鉄道〜1907年9月1日買収〜

歴史

1894年に、市川佐倉を開通させた総武鉄道。1897年には成東まで到達させ、1ヵ月後に銚子に線路を延ばし全通。その後江戸川を越えて1904年に両国橋(現両国)まで開通させ都心入りを果たし、ここを都心の拠点とします。そして1907年9月1日に鉄道国有法により官設鉄道に買収されます。

かつての路線

両国橋銚子(現在の総武本線

コメント

名前から分かるとおり総武本線の全身です。線路が都心まで来ると後は用無しということであっさりと買収されてしまいました。この後の電化、複々線化、地下による東京駅進出&両国の没落、横須賀線との直通、快速線での在来線MAX120キロ運転と、さまざまな発展をする総武本線ですが、全線電化も見ずして総武鉄道の名は去っていきました。

路線リンク(サイト内):総武本線

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房総鉄道〜1907年9月1日買収〜

歴史

この会社は1896年に蘇我大網を開通させたのが始まりです。翌月に千葉まで接続させ、上記の総武鉄道と接続することに成功。その後1899年に大原まで開通させましたが、1907年9月1日に鉄道国有法により官設鉄道に買収されました。
ちなみにこの路線はその後も発展を続け、安房鴨川まで延伸の上、北条線(現在の内房線)を編入し房総線とし、そして房総東線→外房線と発展を続けます。

そしてこの会社には支線が存在します。1900年に開業した大網東金がそれで、この会社が買収された後も総武本線成東まで線路を伸ばしました。

かつての路線

千葉大原(現在の外房線の一部)
大網東金(現在の東金線の一部)

コメント

この会社が買収された時は千葉大原と、区間が短いにもかかわらず買収されました。その後の計画も考えた上のことでしょうか。そして忘れてはならないのが東金支線の存在で、大網東金も一緒に官設鉄道に持っていかれました。こちらもその後成東まで伸ばしています。どっちも中途半端なまま買収されたのにはなんの訳があるのでしょうか?未だに分かりません。

路線リンク(サイト内):外房線 東金線

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甲武鉄道〜1906年10月1日買収〜

歴史

この会社は、、1889年に新宿立川を開通させ、1904年に御茶ノ水八王子間を開通させたところで1906年10月1日に鉄道国有法によって官設鉄道に、第一陣で買収されていきました。

かつての路線

御茶ノ水八王子(現在の中央線の一部)

コメント

この会社は、その名の通り甲斐国(山梨)と武蔵国(東京)を結ぶための会社でしたが、なぜ八王子までなのかというと、そこからは官設鉄道が建設を行っていたからです。つまり名前の時点で、すでに官設鉄道に買収されるのは決定的だったというなんだか悲しい会社です。

線路の敷設については、最初は甲州街道に沿って敷こうと思っていたのが、いろんな宿駅に反対され、やむなく現在の位置になったのこと。しかし沿線の人たちが協力的だったのでほぼ直線で敷けたということです。

ところで、この会社は実は電車の運転を行っています。1904年に中野御茶ノ水を電化させ、電車を営業運転していたのです。車体長10メートルほどでしたが、総括制御を採用し重複運転を可能としたので郊外列車として十分な車両だったようです。

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北越鉄道〜1907年8月1日買収〜

歴史

1897年に春日新田(現在廃止)〜鉢崎を開通させたのが始まりで、その後1899年に直江津に、1904年に新潟にそれぞれ延伸させました。そして1907年8月1日に鉄道国有法によって官設鉄道に買収されました。

かつての路線

直江津新潟(現在の信越本線の一部)

コメント

信越本線の中でもなんだか直江津〜新潟はなにかが違う感じだな〜?と思っていたあなた。そう、そのとおりです。この区間は私鉄が開業させたせんです。信越本線の高崎〜直江津間はというと、ここは官設鉄道がかつて東京〜大阪間の幹線を中仙道経由としていた時の、建設資材を運ぶためのとして建設した線なのです。それについては趣旨が外れるのでここでは詳しく書きませんが、感じが違うのはこういった歴史の違いもあるのです。


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"旅始駅〜鉄道旅行のターミナル〜"was written by 209-0