国有化した鉄道たち〜かつての栄光〜

北海道・東北

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北海道炭礦鉄道〜1906年10月1日買収〜

歴史

官営幌内鉄道の手宮幌内幌内太幾春別を1889年に譲渡され、北海道炭礦鉄道としてスタート。その後岩見沢砂川歌志内岩見沢室蘭砂川空知太追分夕張などの路線を次々と開通させましたが、1906年10月1日に鉄道国有法により官設鉄道に買収されました。

かつての路線

約330キロ

・岩見沢〜手宮(手宮線・現在廃止)
・砂川〜歌志内(歌志内線・現在廃止)
・岩見沢〜幾春別(幌内線・現在廃止)
・小樽〜砂川(現在の函館本線の一部)
・室蘭〜岩見沢(現在の室蘭本線)
・追分〜夕張(現在の石勝線の一部)

コメント

この会社は、後の函館本線の一部や室蘭本線、石勝線の一部を建設しました。もちろん札幌を含み、北海道の中心となった会社だったんでしょう。この会社の主な役目は、その名の通り沿線の炭坑から産出された石炭を積出港へ運送することでした。この会社は甲武鉄道とともに鉄道国有法における買収の第一陣となりました。

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北海道鉄道〜1907年7月1日買収〜

この鉄道については資料があつまらず、簡素な説明になっています。

かつての路線

・函館〜南小樽(現在の函館本線の一部)

コメント

この会社は、函館南小樽を建設しました。もうお分かりですね?函館本線です。買収を受けたのは1907年7月1日で、九州鉄道と同じ日でした。

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岩越鉄道〜1906年11月1日買収〜

歴史

後述の日本鉄道が開通すると、郡山新潟間を会津経由で結ぶ線の建設運動が起こるようになり、1896年に岩越鉄道が設立され、1898年郡山中山宿(翌年に会津若松)まで開通し、1904年には喜多方まで開通させました。その後1906年11月1日に鉄道国有法により官設鉄道に買収されました。ちなみに路線はこの後も延伸を続け、1914年に全通に至ります。

かつての路線

約81.9キロ

・郡山〜喜多方(現在の磐越西線)

コメント

この会社は開業年を見る限りほぼ建設するためだけに作られた会社ですね(買収を受けた線は大体そうでしょうが)。で、この会社の名前を「いわこし」鉄道と読んでいた方、残念でした。この会社は「がんえつ」鉄道と読むんです。知らなかった(お前がか!)
ちなみに岩越鉄道が買収され、さらに全通した後も1917年までこの線は「岩越線」と称していました。

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日本鉄道〜1906年11月1日買収〜

歴史

1881年、日本初の私鉄として設立しました。その後1892年に水戸鉄道を、1897年に両毛鉄道を譲授しました。

かつての路線

もう分かると思いますが・・・

・大宮〜前橋(現在の高崎線及び両毛線の一部)
・上野〜青森(現在の東北本線・いわて銀河鉄道・青い森鉄道)
・尻内〜湊(現在の八戸線)
・宇都宮〜日光(現在の日光線)
・小山〜水戸(現在の水戸線
・田端〜岩沼(現在の常磐線)
・赤羽〜品川・田端〜池袋(現在の山手線埼京線の一部
・小山〜前橋(現在の両毛線
・岩切〜塩釜(塩釜線・現在廃止)

コメント

この会社の中身を知らなくても、名前ぐらいだったら誰しもが聞いたことがあるでしょう。そう、お待たせしました。日本鉄道です。この路線を見るためだけにこのページを開けた人もいるでしょう。
なぜそんなにこの会社が有名か・・・それはもうこの通りたくさんの、それも重要な幹線を多く手がけた路線だったからです。いまでも東東北を支えてる鉄道を建設した会社です。

会社の守備範囲は南は上野(品川)、北は青森まで及び、まさに日本最大の私鉄といっても過言ではなかったでしょう。総距離も買収された会社の中ではもっとも長く、その会社が占める地位は高かったでしょう。

しかしこの会社は完全な私鉄ではありませんでした。路線の建設などには官設鉄道がかかわっており、半官半民の会社でした。・・・そりゃそうですよねぇ〜。こんな規模の路線網を私鉄だけで作るのには無理がありますからねぇ。

そんな日本鉄道でしたが、1906年11月1日に、早くもあっさりと買収されていきましたとさ。ドナドナド〜ナ〜ド〜ナ〜(違

路線リンク(サイト内):高崎線 東北本線 八戸線 常磐線 日光線 水戸線 両毛線 山手線 埼京線


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"旅始駅〜鉄道旅行のターミナル〜"was written by 209-0